yoshio's blog

2014年5月

いよいよ本物の薬局・薬剤師時代がやってくる

分業元年(昭和49年)から40年余りが経過しました。その歴史を手探りしてみたいと思います。

 

私自身、業界から離れて10年が経過しましたが、昨年9月に大阪で開催された日本薬剤師会学術大会に久しぶりに参加しました。

この中で話題となったのが鈴木日本医師会常任理事の講演です。講演では、現在の医薬分業を称して、「母屋(医師)が粥をすすっているのに、離れ(薬剤師)はすき焼きを食っている」と強調されました。その場で聞いていた薬剤師たちからは、空虚な溜息と強いブーイングの響きが出ていましたが、どうした訳か、私には感慨深くて、「いよいよ始まったか!」と思う感情が湧き上がり、今回の調剤報酬の改定を楽しみに待っていました。

最近多発している、多方面からの医薬分業批判に対して、薬剤師や薬剤師会幹部の人たちの腹立たしさも解らないわけではないのですが、今回の講演内容や分業批判を抵抗せず「全面的に肯定」した時に、初めて薬局・薬剤師の新しい道が開かれて来るように感じられます。私には、世界の文明国家の中では遅ればせながら、バッシングを受けて苦しみながら進む日本の医薬分業制度が、定着への難しさと患者を抱きかかえた新しい薬局・薬剤師の苦難時代の幕開けを痛切に感じていました。

私が大学を卒業して薬業界に初めて足を踏み入れた時、故稲森芙美先生(当時大阪府薬剤師会理事、大阪で数少ない調剤薬局を経営)から、「日本の医薬分業制度は既得権からのいろいろな抵抗を受けながら進むから、欧米の医薬分業制度とは異なり、出来上がれば、世界に類を見ないような素晴らしい制度が出来上がるよ!」と言われたことを思い出します。

現役時代、医療経済研究機構や社会医療研究所等を通じて医療機関(特に民間病院)の変革に参加させていただいた私には、20年程前に始まった病院改革の流れの中で、社会からのバッシングを真摯に受け止めて努力した病院、あるいは裏技ばかり考えながらも努力した病院、ほとんど努力もしなかった病院、が現在どのような病院になっているのか、その栄枯盛衰を目の当たりに観て来ました。

勿論、その時の病院経営にとっては点数を追いかけるのも必要な事の一部ですが、気になるのは、そのような病院が10年先、20年先にどうなって行ったかということです。第一線から退いた私が現在見えるのは、正攻法で考えた民間病院はほとんど生き残っているということです。

その時と同じような状況(波)が現在調剤部門にも来ていると考えられ、薬局・薬剤師の数十年先が手に取るように観えて来ます。

これからは、患者を抱きかかえ、スクラムを組み、患者の目と同じ方向を見て、時には医師や医療機関と対峙しなければならない時代が来るのでしょう。医師や医療機関とスクラムを組み、処方せん発行のみに努力してきた私を含め多くの先駆者たちの役割はもう終わったのではないのでしょうか。

今回(平成264月)の調剤報酬改定は、日本の医薬分業制度が定着していくか、消え去ってしまうかの分岐点の始まりと考えます。


2014/05/10(土) 14:02