yoshio's blog

2012年1月

(株)育星会の誕生への道のり 第13章 病院応需の1号店 尼崎カイセイ薬局の誕生

     13章 病院応需の1号店 尼崎カイセイ薬局の誕生

 

 

尼崎カイセイ薬局は、平成28月に開設しましたが、その経緯について考えますと、病院に転換を図らなければならないということで、岡田玲一郎先生の社会医療研究所に入って毎月勉強していました。その毎月の東京への行き帰りに新幹線で一緒に行ったのが、合志病院(尼崎市)の合志事務長さんでした。合志さんは病院長のご令弟で、合志病院を診療所から病院へ転換される時に中心的存在として力を尽されました。その合志さんと上京をともにするにつれて、だんだん親しくなりました。

その合志さんが、「一生懸命に病院を経営しているのですが、一向にゆとりが出てきません」と言われるのです。「考えてみると、薬の支払いが非常に多い。どうも余分なもの、ロスがありそうだ。だから、薬は手放してみようと考えているのです。いつもそのように考えて研究会に参加しています」と言われました。

そこで、「すぐに、とはいきませんが、当社も時期が来たら薬局開設を考えます」と話していました。

そして、開設の半年ほど前に、合志さんから「いよいよ薬を外に出さないと、病院が合理化できない」というお話が出て、「それでは薬局を開設しましょう」ということになりました。

開設に当たっては随分と苦労がありました。まず、土地勘です。大阪の会社ですので、大阪の地理についてはある程度知っており対応はできますが、兵庫県についてはあまり知りません。尼崎市は兵庫県といっても大阪府(大阪市など)に隣接していますので、距離的には近いのですが、やはり大阪府とは違います。

実際に現地を見に行きましたが、候補地は2箇所ありました。1箇所は病院の正面側で、大きな道路に面している場所で、もう1箇所は病院の裏側でした。正面側は病院を出て20mほどぐるりと回らなければならない場所で、裏側は病院の裏口から駐車場を横切らなければならない場所でした。表通りは地域の人に目立ちますが、裏側は目立ちません。ただ、裏側には阪神医生協診療所(阪神医療生活協同組合)もありました。2箇所で悩む時に、正面側は広い表通りに面していましたが、裏側は阪神医生協診療所から処方せんが発行されることも期待できました。

阪神医生協診療所の隣のマンションが建築されたばかりで、1階が店舗スペースで空いていました。前の道路は人通りが殆んどありませんので、店舗としての条件は良くありません。借り手がなく空いていましたので、ちょうど良い場所でした。

病院からは裏側でしたが、ちょうど病院が駐車場を整備され、それまで狭い駐車場の自動車の間をすり抜けなければならなかったのに、整備後は難なく通れるようになりました。裏口からでも出ることができるようになったわけです。

何年か後には表通りの場所に他の調剤薬局が開設されました。そのため、処方せんも半分以上が新しい薬局の方に回るということになりましたが、そのような時に阪神医生協診療所が処方せん発行を開始しましたので、その処方せんも大きなウェートを占めるようになりました。

そこで学んだことは、病院相手に調剤をしようとすれば、必ずライバルが入ってくるということ、採算さえ合えば、横とか前に薬局が来るということです。これが、「次の時代には競合時代の薬局ということになる」という考え方の発端でもありました。そして、高知の近森病院の時に、病院に隣接するのではなく、市民に見える場所を求めることに繋がります。

尼崎の場合は、病院に向いた薬局づくりでしたが、「患者サイドに立たなければならない時がいずれ来るだろう」ということを予感出来ました。病院の方を向いて市民には背を向けた薬局か、逆に病院を背にしても市民の方に向けた薬局になるのかという判断を求められるときが必ず来るだろうという判断です。時代が変わるだろうという予感を感じた経験です。

その後、合志さんは病院を辞められましたが、病院について豊富なご経験や知識を持っておられましたし、私自身もいろいろとお世話になりましたので、ファーマサポートという会社を設立して、患者の観点から薬局の調査を行い、薬局を支援しようと考え、合志さんに中心となっていただきました。

2012/01/10(火) 00:00