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(株)育星会の誕生への道のり 第29章 園田カイセイ薬局の開設 在宅への取り組み

29章 園田カイセイ薬局の開設 在宅への取り組み

 

 

園田カイセイ薬局(兵庫県尼崎市小中島)は平成136月に開設しました。平成28月に開設した尼崎カイセイ薬局は、合志病院の処方せんを応需するために開設しましたが、その後隣接する阪神医寮生活協同組合の阪神医生協診療所からの処方せんを応需するようになりました。阪神医生協診療所は隣で便利と言うこともあり、多くの処方せんを受け入れていました。その阪神医寮生活協同組合は市内に6軒の診療所を開設していますが、その中の小中島診療所から育星会に処方せん応需の話がありました。

阪神医生協診療所は、院外処方せん発行により医療費が高くなると患者からクレームが出るため、当時は無料であった老人医療に限って院外処方せんを発行されました。その処方せんを尼崎カイセイ薬局が受けていましたが、その応需も小中島の在宅処方せん応需が始まって以降です。

「小中島診療所で介護にも積極的に取り組むので、カイセイさん来られませんか?」という呼びかけがありました。「介護ですから、処方せん枚数は少ないかもしれませんが、最初から全面的に院外処方せんを発行する計画です」とお考えを表明されていましたので、「受けましょう」と引き受けることにしました。

小中島は、阪急電鉄園田駅とJR尼崎駅から歩いて15分ほどの位置にありますが、診療所の横に開設することになるのですが、場所を探す時に苦労しました。店舗は、近くのビルの1階に空き室があったのですが、もともと自動車会社のビルで、1フロアが55坪ほどあり、スペースが広すぎて、とても全部を借りることは出来ません。「何とか半分だけを借りることが出来ないか」と交渉し、最終的には半分借りることが出来まして、開設に漕ぎ着けました。

初代薬局長は、現在の白井部長で、店舗につきましては、全て任せましたので、監査台など調剤室の設備などについて白井薬局長自ら設計業者と直接話をして整えました。これ以降の各店舗の監査台は、園田のケースが引き継がれています。

尼崎店は個人の在宅を100件以上抱えていました。その一部分、15件程度が小中島診療所の分でした。当初は、一日の外来が50件ほどしかないため、外来の処方せんは発行されないということでした。そのため小中島の分を含めて在宅の45件ほどで採算を検討するように指示しました。

ただ、阪神医寮生活協同組合の医療機関ですので、オーナーが決定して実行に移すというわけにはいきません。組合員の理解を得ることが必要で、当初は阪神医生協診療所も分業をしていませんでしたので、その組合員の理解を得ることに苦労しました。距離的に80メートルほど離れていましたので、高齢の患者には雨とか暑い日は大変ではないかという心配もありました。そのため、まず理解・周知を図るため、組合員を対象に日曜・祝日に説明会を連続して開催し、初代の白井薬局長が分業のメリットなどを説明しました。

当時はお薬手帳もない時代でしたが、育星会は薬剤情報に早くから取り組んでいましたので、患者さんにも好評でしたし、分業になれば診療所で出来なかったサービスが出来るという、薬剤師による二重チェックを強調しました。また、携帯電話で24時間相談を受け付けるという体制を整え、白井薬局長が対応しました。これらが評価され、当初の予想を上回る業績の残すことが出来ました。

また、潜在的なニーズの掘り起こしも課題でしたので、当時の尼崎店の徳野薬局長と白井薬局長が開発の業務にも取り組みました。週に12回、在宅のニーズを掘り起こすため、2人で周辺の医療機関を回りました。400件ほど回り、その10分の1ほどに話を聞いてもらい、そのまた10分の1ほどで処方せん発行が実現しました。「在宅医療支援」の看板を掲げていましたので、問い合わせもありました。診療所からは100枚ほどの処方せんが来るようになりましたし、在宅もありましたので、業績としては順調でしたし、PR的な存在でもありました。

育星会としては、兵庫県で2軒目の開設ですが、大阪府以外で開設するのは珍しいケースでしたので、地元の反発も予想していました。知人からも「兵庫県に進出するのであればライバルになりますね」と連絡をもらいましたが、多店舗展開をする考えは全くありませんでしたので、その考えははっきり申し上げましたし、それほどの反対もありませんでした。高知など大阪以外に開設した時は苦労も経験しましたが、兵庫県は隣接県ですし、「大阪府薬剤師会に協力的である」という育星会の状況も理解されていたと思います。

 

 

2013/09/10(火) 00:00