yoshio's blog

2013年10月

寄り道Ⅵ 薄れていく記憶

「育星会を歩く」というメインタイトルのもとに、「()育星会の誕生への道のり」としてカイセイ薬局の誕生に関わる話を書いてきました。その数は29章に及んでいます。紹介した薬局は24軒に達しました。

最新で原稿にしたのが園田カイセイ薬局ですが、その原稿を作成する時に感じたのは、店舗開設の記憶が定かでなくなってきているということです。それまでは抵抗なく当時の記憶が蘇ってきて、原稿を書くのに問題はありませんでした。園田の場合はかろうじて記憶をたどることが出来たのですが、ふとそれ以降のことについて考えると記憶が定かではありません。

「何故、記憶が定かでなくなってきたのだろうか」ということをつくづく考えましたが、その当時は川久保君が体調を崩した時期であったことを思い出しました。殆んど飯田専務に仕事を任せて、川久保君の闘病生活に精力を割きました。

飯田専務は平成15年(2003年)9月に社長に就任しましたが、川久保君は平成16年(2004年)21日に亡くなりました。寄り道Ⅰ(川久保君との別れ、2011315)で掲載しています。川久保君は平成14年(2002年)の年末に夫人とタイ旅行に行きましたが、その時に体調を崩し、帰阪後すぐに天王寺区の胃腸専門病院へ入院しました。しかし芳しくなく、娘婿(内科医)の紹介で岸和田市民病院へ転院しました。そこで彼は膵臓がんだと診断され、それ以後苦しい1年余りの闘病生活を送ることになりました。

まず、すぐにガン専門の大阪府立成人病センターへ入り、放射線治療と内服治療に専念しました。その後、北海道の時計台病院での「導管治療」を受けることになり、夫人ももちろん付き添いましたが、毎日議論していた相手が居なくなり寂しいため、私も頻繁に見舞いに行きました。その時、「会社をほったらかしにしてはいけない」と考え、飯田君に社長を任せることにしました。そして、その後川久保君の闘病を支えることに専念しました。

平成8年(1996年)5月、育星会の本社移転と時を同じくしてジョヴィも本社事務所をOAPタワーに移転して来ました。川久保君は育星会の会長として関わっていましたが、ジョヴィの方に精力を割き、毎日、ジョヴィの本社に出勤していました。「社長が遅く出社していてはダメだ」と考え、また毎日の朝礼に顔を出すために、OAPタワーの近くにマンションを借り、単身赴任のように一週間の殆んどをそこで生活しました。週に2~3回夫人が掃除などに来ていました。そして、川久保君と私は、お互いの事務所では顔を合わさないようになりましたので、毎日OAPビル2階の喫茶室で会って、お互いの情報を交換しました。

このような経過で実質的な経営から離れていきました。その後も相談に乗るなど経営に少しは関わっていましたが、川久保君が亡くなって以降は、育星会の経営から全く手を引くようになりました。

そのため、この時期から育星会に関する記憶が殆んど残っていません。

従って、それ以後の出店情報については、飯田社長とそのスタッフの人達に引き継がれていくことを期待いたします。

これまで、原則として毎月1回原稿を書いてきましたが、今後は、時折、感じたことや思ったことを原稿にまとめてブログとして掲載したいと思います。

長い間有り難うございました。

2013/10/10(木) 00:00