yoshio's blog

2011年7月

(株)育星会の誕生への道のり 第9章 平尾カイセイ薬局の誕生

9章 平尾カイセイ薬局の誕生

 

カイセイ薬局と改称して2番目に開局したのが、大阪市大正区の山北医院の処方せんを受け入れる平尾カイセイ薬局でした。

ミユキ薬局の項でも紹介しました谷和先生が、大阪市港区の大阪船員保険病院に勤務しておられました。船員保険病院は内科系が不十分な状態だったため、その建て直しのために自ら率先して入局されたのが谷和先生と山北先生でした。この2人の先生は、午前11時半に受付を締め切った患者さんの診察が終わるのが3時、4時になるくらいの人気で、病院の中心にもなっていましたが、病院の内科が軌道に乗った頃、まず谷和先生が実家を継いで開業することになり、山北先生も診療所を作りたいということで病院を辞められることになりました。山北先生は、家業は医院ではありませんでしたが、実家の近くの大正区平尾で開業することになりました。

山北先生は、最初から院外処方せんというわけにもいきませんでしたので、「様子を見てから」ということになりました。育星会としては、長尾専務が最初から担当することになりしました。山北先生は最初から長尾専務を気に入っておられましたので、長尾専務は、その後1週間に1度くらい訪問していました。ところが、見る見るうちに患者が増えて、1年も経たないうちに100名を超えるようになりました。「さすが」というところですが、そうこうしているうちに、長尾専務から「薬の方は手放すので、準備をして欲しい」という先生の意向が伝えられ、私と川久保、それに長尾専務が訪問して、受け入れるための薬局の場所を探しました。

幸い、隣のビルが3階建てで、1階は焼肉店でしたが、早くに閉店して空いていました。すぐに借りることとしてOKも頂き開業することになりました。大家さんは2階と3階に医療機関を入れたいという希望でしたが、エレベーターがないため、「患者さんが出入りするためには2階までが精一杯」という状態でした。(この後、数年後には2階に山北先生の友人の佐々木先生が耳鼻科を開業することになります。)

何の弊害もなく、処方せん発行となりましたし、処方せん発行で患者さんの負担が高くなることなど関係なく、患者さんの数は益々急激に増えていきました。人気のある先生に共通するのは、患者さんに対して細やかな気配りをされることだと痛感いたしました。そのため、薬局にも細やかな心配りを求められました。

最も悩んだのは「店長を誰にするか」という点でした。その時に、どの店に行っても比較的評判が良かったのが飯田君(現社長)でしたので、最初の店長は飯田君にお願いいたしました。

飯田君は非常に「人受け」が良く、これは社内外共通した評価でした。彼が最初に担当した店舗では、みんな喜ぶのですが、チェーン化しますと、1箇所に止まることはできません。新しい店舗ができるときは「飯田君行ってくれ」ということになりますので、飯田君が良すぎて、次の店長と格差ができてしまいます。

山北先生からは、いろいろなクレームが出ましたので、毎月1回、機会を設けていろいろなご意見を伺うことにしました。それを契機に、それまで開局した他の薬局も定期的に回るようになり、先生方のご希望やご意見を聴く機会を作ることになりました。その後は、病院中心に方向転換を図りましたので、現在では、そのような機会はなくなりましたが、最初の頃の何軒かの診療所は現在でも定期懇談が続いています。

最初の頃は、何かあると「飯田君は空いていないのか」と聞かれ困りました。そのきっかけになって定期懇談を持つようになりました。

山北先生は非常にお忙しいので、会合はいつも夜9時以降からです。他の薬局の場合は昼間の医院が休みの時間ですので問題ないのですが、夜遅くなりますと、私も川久保もついつい居眠りしてしまことがありました。

定期懇談会は、私と川久保、長尾に途中から飯田君も加わったのですが、ほとんどのことを判っている長尾・飯田両君が返答し説明するわけです。私たちが居眠りしても山北先生は何も言われないのですが、どちらか1人だけならまだしも、2人とも眠ってしまったらどうしようもありません。長尾専務や飯田君は居たたまれなくなり、よく終わった後で叱られました。特に、私も川久保も鼾をかきますので、「たまったものではない」というところでしょう。「眠るのだけではなく鼾もやめてください!」と二人から叱られました。決して「話題が面白くない」ということではありません!これだけは強調しておきたいと思います。山北先生に大変嫌な思いをさせたことを深くお詫びいたしたいと思います。

川久保君が亡くなってからは、1年ほどと退職するまで、一人で山北先生のところへ行くということができませんでしたので、長尾・飯田両君にお任せしました。私自身は、体質的に、すぐに眠るところがあったのですが、「また眠るのではないか」と怖かったのです。

周辺に診療所や病院がたくさんありましたが、それにも拘らず、勝ち抜いていかれるのですから山北先生は凄い方だと思います。

診療所から病院へと受け入れ先が変わってからは、数軒以外相手の診療所を訪問することもなく、育星会の各店舗を回って話を聞くというスタイルに変わりました。現在でも毎月1回店回りが行われている訳です。

 

2011/07/10(日) 00:00