yoshio's blog

2012年2月

(株)育星会の誕生への道のり  第14章 羽曳野カイセイ薬局の開設

     14章 羽曳野カイセイ薬局の開設

 

羽曳野カイセイ薬局は、尼崎カイセイ薬局の半年ほど後の平成34月に開設しました。羽曳野市の島田病院の処方せん応需のためですが、病院長の島田先生とは、社会医療研究所の勉強会の後で何人かのグループ毎に分かれて熊本城へ見学に行った時に一緒の班になりました。

それまで島田先生とは顔見知り程度で、親しくお話させていただいた訳ではありませんでしたが、その観光の時に「大阪の羽曳野で病院をやっている島田や!」ということを初めてゆっくりお話を聞きました。そしてお話しているうちに、島田先生は天王寺高校の十数年後輩であることが判明し、しかも、同じバスケットボール部のOBであることが判りました。私自身は、バスケットボール部のOB会の理事をしていましたので、「その目谷さんでしたか」と言われました。それ以降急速に親しくなりまして、島田先生から「僕のところも分業を考えているので受入を考えてほしい」と話されました。

そこで、合志さん、島田さんとの分業がほぼ同時に実現することになりました。当時は、枚数の多い病院を狙って調剤薬局が出店されつつある状況で、枚数の多いところは薬剤の種類も多く、薬の利益がまだ大きかった時代ですから、その「利益がなくなる分をどうしてくれるのか」というお話が結構出ていました。

ところが、有り難い事に合志さんとか島田さんは最初から親しい関係で進みました関係か、そのようなお話は一切出ませんでした。

島田病院につきましては、対象医療機関は最初は島田病院だけでした。そのため、病院の敷地に隣接した建物の1階を借りて薬局を開設することとし、許可も受けることが出来ました。当時、調剤薬局開設に関しては、「経済的・機能的・構造的に医療機関から独立していること」という3条件がありました。これをすべてクリアしていたわけです。薬局は、幹線道路(大阪府道31号線)に面した場所で、病院は前の方に駐車場があり、施設は奥にありました。

 ところが、病院は、数年して隣の土地を購入されました。薬局の隣にもなるわけですが、そこに老健施設を建てられました。そうしますと、外から見れば薬局は島田病院の中に離れ小島のように囲まれた形になります。病院の中に薬局がポツンと建っている状態です。「これでは病院の薬局と同じだ」ということで、大阪府の保険課に呼び出され、是正を求められました。同じようなケースが茨木市でも存在し、薬局が移転されたそうです。そのため、「カイセイ薬局も移転してほしい」と言われました。指導ではありますが、強い要請でした。

 その場では、「検討します」とだけ答えて帰りました。川久保と相談しましたが、周辺はそれぞれ一規格が広い土地ばかりで、一部だけを購入するわけにはいきませんでした。従って土地を購入するのに何億円もの費用を要しましたので当社ではとても困難でした。道路の向かい側にも空き店舗がありましたが、患者さんは特に整形外科の受診者が多かったため、道路を渡ってもらう事が大変な事でした。

 単なる指導ですので、「そのままいく」という選択肢もあったのですが、「いずれそのような指導もなくなるだろうなあ・・・」と思いつつも結局移転の道を選びました。現在では、このような場所の薬局が方々に見られますが、当時はそれを拒否することは出来ませんでした。

 結局、現在地の地主さんに頼むことになるわけですが、地表の道路面から数メートル下がった土地であったため、「ご自分の費用で嵩上げをしてもらえるのであれば構いません」ということで一部を借りることが出来ました。そして、鉄骨で嵩上げして薬局をつくりました。そのため、思ったよりも費用が嵩みましたが、一部借りでしたので少なくて済みましたし、土地を全部借りなくても済みましたのでホッとしました。平成126月のことです。

 この時期からは、いわゆる「リベート分業」と呼ばれる状況が盛んになってきました。「薬で失う利益を何かで埋める」ということです。育星会として営業に行くと、このような申し込みが少なくありませんでした。そのような場合は、「患者のため、薬剤師のために分業に取り組む」ことを目標としている育星会としては、「質の充実が出来ない」ということで、「泣く泣く断る」というケースもたくさんありましたが、逆に借入金がない会社を慌てずにゆっくりと増やして行く事が出来ました。

今でも大阪市内を自動車で走っていますと、そのように断わられた病院が何軒か目に触れることがあり、懐かしい思いが致します。

 病院分業が急速に進んだ時代ですが、合志・島田と2軒の病院の処方せん応需からスタートした経験からは、「じっくりと取り組めば病院の処方せん応需もさほど問題ではない」ということを強く感じた経験でもあります。

今では、川久保や私の周辺には、時代の流れに影響されない素晴らしい先生方が沢山居られたお陰だと、育星会の運の良さを喜んでおります。

現在までの病院からの処方せん発行は、病院の合理化の観点から進められていますが、「患者のために処方せんを出すという考えで進めると、どのように変っていくのであろうか」ということも常々感じていました。「病院には処方せん不可の患者はいないのだろうか?」、「夜中の患者に対する投薬は今のままでいいのだろうか?」、「街の薬局で薬を買う方が安い薬があるのはどうしてだろうか?」などいろいろな疑問を持ち始めた時期でもありました。

2012/02/10(金) 00:00