yoshio's blog

2013年6月

(株)育星会の誕生への道のり 第26章 桃谷カイセイ薬局の開設 初めて薬局開設が先行

26章 桃谷カイセイ薬局の開設 初めて薬局開設が先行

 

桃谷カイセイ薬局は、JR環状線桃谷駅前の大阪市天王寺区烏ヶ辻に平成113月に開設しました。処方せん発行の確認よりも薬局開設を先行させた初めてのケースです。

それまでの薬局開設は、医師とお話しをしたり、病院とお話しをする中で、処方せん発行の話が出て、お互い確認を取り合い、「それでは薬局を開設しましょう」ということで開設することが中心でしたが、桃谷カイセイは「まず薬局を開設し、その後に医療機関に処方せん発行を働きかける」というやり方でしたし、競争状態の薬局が社員を成長させるという確信を持っていましたので、そのような条件の薬局を開設しようと考えていました。

JR桃谷駅周辺には薬局薬店がたくさんありますが、いずれもOTCを中心とした店舗で、調剤を志向した薬局はありませんでした。医療機関は少なからずあるのに、処方せんを発行していないため、処方せんを応需する薬局がなかったわけです。しかも、駅周辺の診療所だけではなく、大阪警察病院、NTT西日本大阪病院などの大規模病院が近くにあり、国公立病院の処方せん発行が急速に進んでいた時代の流れがありました。最も近い病院であるNTT西日本大阪病院の院長が当時の飯田専務の知人であるという幸運もあり、薬局開設の後押しともなりました。近隣の医療機関を訪問し、「薬局を開設することになりました。処方せん受け入れの準備ができておりますが・・・」と申し出ますと、「それでは処方せんを出そうか」という医師もおられました。

それまでの経験から、「今後は、薬局の立地条件が重要な要因となる(点から面へ)」ことを体で感じて来ましたので、まず、薬局の開設場所をそれぞれの病院の門前よりも一点集中する桃谷駅前に置きました。「それぞれの門前で何軒も造るよりも、その地域で一軒」という考えを固守し、的確な場所を探しました。少し捜していると、すぐに駅前の民家を借りることができました。当時はまだ処方せん発行があまり進んでいませんでしたので、ライバルもなしにスムーズに運び得ました。

桃谷店はスペースの関係から調剤室を2階に開設しましたが、それでも1階に十分な待合室のスペースを確保出来ません。ところが隣接の民家も借りることができ、待合室として利用することにしました。私としましては、2軒続きですから、一部を打ち抜きにして、待合室同士の店舗の行き来が楽に出来るようにしたかったのですが、家主がどうしても承諾しませんので、結局、新しい待合室は隣家という状況になってしまいました。新しい待合室は主に子供用として利用することになりました。

また、スタッフの面では、優秀な薬剤師との要望に対し、飯田専務から山鹿さんを推薦されました。彼女は非常に良くやってくれました。私が山鹿さんを最初に見たのは彼女が平尾カイセイ薬局に勤務していた時です。彼女は医師に話をする時に全く動じる様子も無く堂々と話をしていました。私もそうですが、薬剤師は医師に対してどうしても低姿勢になります。彼女にはそれがありませんでした。「この子はできるなあ」と好感を持ってその様子を見ていましたが、桃谷の店長になっても、積極的に周辺の医療機関と接触し始めました。会社の考え方をよく解っていただいていたと思います。一定の医療機関との結びつきで薬局を開設したわけではありませんので、「近隣の医療機関とは絶えず仲良くしておかなければいけない」と力説していたこともありまして、彼女は次々と近隣の医療機関を訪問し、それによって処方せん発行を開始した医療機関や関心を持ち始めた医療機関も多数出てまいりました。

初代の薬局長は白井部長で、彼の大変な努力によって医師を説得し処方せん発行が実現した医療機関もあり、薬局に対する評価が高くなったという事実もあります。

残念ながら、数年後、彼女は大阪でも有数の歴史ある薬局から請われ、そのご長男と結婚して退職しましたが、嫁ぎ先のお母様は川久保会長の義理の妹さんです。つまり川久保夫人の実の妹さんです。縁を感じましたね。会社では「なぜ縁結びをしたのか」と批判をいただくし、近隣の医師の中には「彼女が辞めるなら処方せん発行を止める」と冗談を言う先生方もおられました。

駅に近いということもあって、大規模病院の処方せんも来ていましたが、病院の門前には調剤薬局が次々に出現して、それらの病院の処方せん枚数は少なくなりました。しかし、周辺の診療所からは処方せんも増え、多くの医療機関の処方せんを応需するようになりました。

その後、病院に近い角地に大型チェーン薬局が出店しましたが、このケースは、地方銀行の旧店舗を一棟丸々購入し、1階に調剤薬局を開設すると同時に、2階、3階に医療機関を誘致するというやり方でした。「なるほど、このようなやり方もあるのか」と思いましたが、「そうだ、34年前に東京に行って勉強していた時に、そのようなケースがあったな」と思い出しました。当時は、医療機関を回るのに精一杯でしたし、余裕もありませんでした。しかし、周辺の土地を探す時に、今でしたら、相手が薬局となると法外な値段をふっかけられますが、当時は、相場で借りられました。最初でしたし、今のように薬局が殺到するということがありませんでした。ですから、桃谷も普通に借りられました。

ところが、現在では土地が何倍にも値上がりしていますし、すごい状況になっています。大型チェーンの出店で感じたのは、「分業では東京に比べて関西は3年遅れているな~・・・」ということです。分業に関しては、「関東や中部の薬局から見れば大阪は攻めやすい地域だろうな」とその時に思いました。大阪よりも進んでいましたからね。現に、最近では東京や中部の大手調剤薬局チェーンがどんどんと大阪に進出してきています。

この時の経験が、育星会の医療モールへ取り組みの基となり、また、患者中心の「あなたにやさしい薬局、あなたにやさしい薬剤師」がより必要な時代に入ってきました。大型チェーン薬局には太刀打ちできませんが、徹底的に患者を中心にした大阪独特の調剤薬局を造っていくということを強く感じました。「関西風調剤薬局」の伸ばし方は、患者を抱きかかえて処方せん調剤にどう取り組むかということに徹しなければなりません。

大規模病院で処方せん発行の動きがありますと、調剤薬局が群がり、次々と門前薬局が出現しますが、それは、門前でたくさん処方せんを取ろうとするためです。しかし、処方せんはたくさん取っても充分な対応ができません。一人ひとりのお客さんを大事にして、その一人ひとりに喜んでもらうためには、100枚くらいが限度です。そのような薬局にしようと思えば、門前よりも地域の中心に一軒で、集まって来る処方せんを応需する方が望ましいと思いました。

その意味で、桃谷カイセイ薬局は特に印象に残る店舗の一軒でした。

2013/06/10(月) 00:00