yoshio's blog

2012年11月

(株)育星会の誕生への道のり 第20章 八尾カイセイ薬局の開設と社内体制の改革へ

20章 八尾カイセイ薬局の開設と社内体制の改革へ

 

本社事務所を大阪市内のOAPタワーに移転したその年の12月。つまり、平成812月に八尾カイセイ薬局がオープンしました。これは、八尾はとふる病院の院外処方せんを応需するために開設したものです。

八尾はとふる病院は、八尾英和会病院(八尾市佐堂町)より継承して開設され、羽曳野・島田病院の島田永和先生を院長とする個人病院としてスタートし、平成104月に医療法人永広会八尾はとふる病院として開設されました。開設当初は一次救急を受ける病院でしたが、地域における役割を考え、急性期ではなく、回復期及び維持期におけるリハビリテーションに特化した療養型病院を目指し、平成144月にそれまでの場所から150mほど離れた現在地の八尾市美園町2丁目に新築移転しました。

当初は、島田先生から処方せん発行について「外来が少ないのが気になるが、本院と同様に処方せんを発行したいのだが?」と相談され、「『本院+はとふる』÷2という考え方でいけば充分にやっていけるでしょう」とお返事し、快く引き受けました。大阪府道2号線に面して、病院に隣接した場所に薬局を開設しました。ただ、病院の規模や継続した事情もあってそれほどたくさんの処方せんが発行されませんでしたが、確かに、本院(島田病院)がありましたので、『本院+はとふる』÷2という考え方は間違っていませんでした。

6年後に病院が現在地に移転することになるわけですが、移転に際しては、島田先生に川久保と私の3人で病院の候補地と薬局が開設可能な土地を探して回りました。病院の移転先は工場地帯でしたので、大きな区画の土地ばかりで薬局を開設できるような規模の土地がありませんでしたが、「灯台下暗し」とはこのこと。はとふる病院の出入口を出てすぐ前の工場の中の一角を借りる交渉をしましたところ快く貸していただけました。まさか貸していただけるとは思いませんでしたが、熱心にお願いに参りました。そうしますと、誠意が実ったのか、快くお借りすることができた訳です。

それまでは、新しい店ができると、新しい薬局長が選ばれ、そのたびにその他の薬剤師も出来るだけ入れ替えしていましたが、それはあくまでも「会社の為に」ということに過ぎませんでした。店長が異動すると、それに伴って薬剤師も部分的に異動していました。医事課ももちろん異動します。新店ができるたびに人事異動が行われるわけです。

そのような状況が続いていたのですが、八尾を造ったときに「それで良いのだろうか」という考え方が芽生えました。「『会社の為』に、『会社の都合』で薬剤師を替えているが、それで良いのだろうか」、「患者の側からすると、同じ人がいてくれた方が安心するのではないか」、「『自分の病気のことをよく知ってくれている人が薬を創ってくれる』ということに喜びを感じるのに、『ちょこちょこ薬剤師が替わる、漸く親しくなったのにすぐに入れ替わってしまう』ということで良いのだろうか」と気が付いたわけです。「患者のニーズと全く違うことをしているのではないだろうか・・・」、そこで「患者ニーズに合ったやり方に変えて行こう」と考えました。これからの薬局の良し悪しはサービスで、サービスの重要な部分は患者さんとスタッフの信頼関係だと感じたのは、育星会の生い立ちが開局薬剤師の集団だったことも大いに影響しているのでしょうね。

しかし、薬剤師を替えずに一箇所に貼り付けてしまうと、会社全体がマンネリ化してしまいます。会社の為ではなく、患者の為に人事を行いたいのですが、マンネリ化も避けなければなりません。そこで、どちらの考えも登用した、中間的な形にしようと考えました。店長は新しい店にリーダーとして赴任しますが、薬剤師は店長よりも長く店の患者に接する方が良いのではないか、医事課にいたっては、専従社員は2店に1人でも良いから、地域に張り付いた人、その店だけの専従員にしようと考えました。それが数年後に始まった医事課正社員の削減とパート社員(店舗固定)の増員計画です。

40名いた推進課(医事課)正社員を15(全地域を網羅できる人)に減らし、非正社員(その店の地域に住んでいる人)を充実したわけです。

その点で、パート社員は大半が地元での勤務を希望しますのでちょうど良い状況でした。

患者の目から見ますと、できるだけ親しい人が店にいてほしい、という希望があります。その要望に応えるために、会社のやり方を変更しました。患者からは、「いつも知った人がいる」と喜ばれ、しかも会社としてマンネリ化を防ぐために、薬局長、薬剤師、医事課という3つの部門の異動を配慮しました。この考え方が芽生えたのが八尾カイセイ薬局を設立した時でした。

幸いにして、八尾は処方せんが少ないですから、固定したスタッフを置こうと考えました。そして、固定してもマンネリ化しないような熱心なスタッフ、今後患者の家庭まで入っていけるような体制作りをしようと取り組んだわけです。薬剤師に携帯電話を持たせたのもこの時です。

八尾は処方せんが少ないのを活用し、時間もありますので、外来患者の薬の管理をするということ(個々の患者の飲み始めから飲み終わりまでの管理)を八尾カイセイ薬局で試験的に行うようにお願いいたしました。これが数年後に全薬局で始めようとした24時間対応管理でした。

2012/11/10(土) 00:00