yoshio's blog

2013年8月

(株)育星会の誕生への道のり 第28章 天満カイセイ薬局の開設 初めて1医療機関に2軒の薬局開設

 

     28章 天満カイセイ薬局の開設 初めて1医療機関に2軒の薬局開設

 

天満カイセイ薬局(大阪市北区山崎町)の開設は平成1210月で、紀三井寺カイセイ薬局の開設が遅れたため、ほぼ同時期の開設となりました。北野病院(大阪市北区)の処方せんを応需する目的で開設しましたが、既存の扇町カイセイ薬局(大阪市北区神山町)とともに、1医療機関に対して2軒の薬局を開設するのは初めての試みでした。

15章で触れましたように、扇町カイセイの時は北野病院の処方せん発行が殆んどなかったため周辺の家賃も高騰しておらず、薬局を造り易い状況でしたが、天満カイセイが出来る時には、新北野病院の処方せん発行が全面的に行われることが判っておりましたので、家賃は法外なまでに高騰しておりました。

北野病院が新築移転するという話を聞いた時、病院の規模が大きくなるとともに、北の方に移転することで扇町店からは入口も遠くなってしまうということを心配しました。扇町カイセイ薬局は、旧病院の並びで立地条件も良かったのですが、新病院になると、出入口から遠く、病院との間に数軒の薬局が来ることが想定できました。もっと立地の良い病院の近くに開設しようと土地を探したのですが、大手の調剤薬局チェーンの参入で既に土地の値段も吊り上ってしまい、法外な値段になっていました。採算が取れるはずもなく、止めた方が良いと判断しましたが、たまたま隣接した店舗が手に入りましたので、2倍に拡張して、サービスの維持をしようと考えました。大手チェーンとの戦い方を考えたわけです。

一方、天満の店はJR天満駅の方向に帰る患者さんが結構多いということで、その患者さんに便利な場所を考えました。いろいろ当たってみますと、大手は病院の裏手だと考えたのか、勧誘に来ておらず、中小のチェーンとかグループ、地元の薬局が殆んどでした。そのため、扇町と違って中小チェーン相手の戦略を練ろうと考えました。幸いにも病院に近く、駅に向かう道の角地に店舗を開設することが出来ました。

旧病院では、梅田に帰る人にとって便利な場所に扇町カイセイ薬局が有りましたが、移転後は天満の方に行く患者も多く、半々ということが調査によって解りましたので、育星会としては、1病院に対して1店舗の薬局という方針でしたが、初めて2店舗の薬局を開設することになりました。但し、2軒は全く条件が異なるものです。「あなたにやさしい薬局、あなたにやさしい薬剤師」ということは共通ですが、扇町カイセイは距離的にも場所的にも不利な状況下で、乱立する大手チェーンとどのような戦いをするか。天満カイセイは中小のチェーンを相手に、立地的には最も良い場所にあってどのような戦いをするか。2つの異なる戦略を展開することになるため、2軒開設しても良いだろうということになりました。

扇町は当時の飯田専務にお願いして当社のベテランを薬局長として配置していただくようにし、天満の方は、当時の若手の中から、新しい考え方が出来る者をと考え、初代の薬局長に起用したのが現在の木村部長です。

木村薬局長は、若手だけに、どんどん新しい、その時代に合った知恵を出し、飯田専務・渡辺常務とともに、失敗や成功を重ねながら頑張っていると当時の飯田専務から報告を受けていました。

すでに扇町店がありましたので、病院採用品目を知り予め棚番を決めることや、実際の北野病院の処方せんを元に入力・処方解析・調剤・監査がシュミレーションできたことは何より心強かったでしょうし、分包機も最初から円盤全自動分包器を導入し、監査システムも充実していました。薬剤師は常勤4名、パート1名で店舗側の準備は万全でした。

ところが、開局初日の処方せんはゼロ枚。梅田方面に帰られる方が多かったためか、その後も大腸検査食等を購入される方はおられても、処方せん枚数はなかなか伸びませんでした。小児科や神経内科の医師に対するアプローチや薬剤部長などとのコミュニケーションは渡辺常務が既に扇町時代から取っていましたので、天満店もスムーズにそれを引き継ぎました。扇町店が任されていた施設業務を天満店で受けたり、病院への訪問はもちろん、近隣住民に対して積極的に関わることで、他院処方せんの取り組みにも力を入れました。店舗の前が団地ですので、町内会や婦人会とのお付き合いにも気を配り、婦人会の勉強会で木村薬局長が講演することもありました。最近の育星会では、各店舗で地域・施設の行事に参加したり講演することがありますが、当時としては天満店が唯一の例でした。

開局後半年から1年程度は120~40枚程度でしたが、疑義照会で納得のいかない時には直接病院に出向き、医師に意見を申し上げるなどして医師から信頼を頂いたお陰か、その後は順調に伸び、2年後には処方せん枚数が120~150枚に達するほどに急速に成長しました。店舗構造では、出入口の段差をなくし、お手洗いを広くするなど、車椅子でも安心してご利用いただけるように工夫していましたし、投薬窓口以外にも、座って十分な服薬指導を行なったり、薬や体調の相談ができるコーナーも設けましたので、それらが患者さんに評価された点だと思います。

扇町とは違うタイプの薬局で患者層も異なりました。そのため、両店舗で患者層が重複したりトラブルになるということはありませんでした。扇町店は難治性疾患、重症例の方が多く、旧北野病院で以前からかかっておられた方が多いのですが、天満店では新しい患者さんが多いという違いがありました。病院に行ってから出勤される方も多かったのですが、抗がん剤治療の方、リウマチの方、精神神経科の方など広範におられましたので、「簡潔な説明を希望される方」か「丁寧な説明を希望される方」かを判断するように店舗スタッフの教育にも取り組んだ結果、患者さんからの支持を得て処方せん枚数が伸びたのではないかと考えています。

また、天満店の地主さんは氷屋さんでしたが、廃業して自宅を兼ねた建物を新築され、その1階にカイセイ薬局が入りました。その地主さんが薬局運営に協力的であったことも大きな助けになりました。「病院から見てすぐに判る場所に看板をつけよう」と、ご自宅の外壁への取り付けも考慮してくださったり、近隣地域で人気のあった地主さんが天満店をアピールして歩かれることも少なくなかったことを、今でも感謝しております。

扇町カイセイ薬局の周辺に大手が進出した時、そして天満カイセイ薬局を開設した時に、私自身が処方せんを持って育星会以外の薬局を回りました。大手チェーンがどのような戦略をとっているのかを確かめるためです。1か月1回だった処方せんを細かく分割して出してもらい、それを持って回りました。自店の欠点も解りましたが、一時的に処方せんが減っても回復できるという自信ができました。

大手の場合はあくまでも従業員という感覚ですが、育星会ではオーナー側の感覚を持った社員が多く、「自分たちで考える」という感覚がありました。大手が取り組んでいるもので「良いな」というものは天満で導入しました。大手は、マニュアル通りの親切さではありますが、心を打つものはありません。そこに育星会らしい感覚をもって接することが大阪独特の勝負どころだという実感を持つことができ、以後のわが社の運営に役立ちました。

2013/08/10(土) 00:00