yoshio's blog

(株)育星会の誕生への道のり 第25章 阿波座カイセイ薬局の開設と社員の成長

25章 阿波座カイセイ薬局の開設と社員の成長

 

阿波座カイセイ薬局は、日生病院の院外処方せん応需を目的に平成1011月、大阪市西区立売堀に開設しました。

阿波座カイセイは服部部長の努力で取り組みを開始しました。当時、服部部長は開発に配属された時でしたが、自身が出生したのが日生病院であったということもあり、病院を見学に行き、医薬分業の可能性を考えていました。そして、多くの企業の人が参加する勉強グループにも属し、交流していましたが、その中に日本生命の社員の方もいて、日生病院の事務長は本社の法人営業部の部長が就任することも聞き、紹介してもらって病院を訪問し分業の話もしました。

日生病院は、公益財団法人日本生命済生会付属という半公的な病院で、一方で企業系病院ですが、職員の福利厚生を目的とした他の企業系病院と違って、広く一般の患者を受け入れています。特に、一般の患者の診療も本格的に開始していましたので、経営面の課題もありました。そのため、分業にも興味を示していました。

処方せん発行の情報はメーカーや卸も掴んでいましたが、当初から「マンツーマン型式は無理」と言われており、オープンの形での発行ですので、それまでのマンツーマンと違って、複数の薬局の出店が予想されました。横一線のスタートになりますので、場所が最も重要な要素となります。立地の良い場所を確保しようと多くの会社が必死で候補地を探していました。私どもは、病院の隣接地に工場があり、その敷地の一部が最適と当初から考えていましたので、通い詰めて借りることが出来ました。「1階と2階は使ってもらっても良いが、3階は工場と続きにして自社で使わせて欲しい」など先方の条件があり、その条件を受け入れて、4階建ての建物を建て開局に漕ぎ着けることが出来ました。店舗は狭かったので、2階に調剤室を持っていくしかありませんでしたが、前の年に城東カイセイ薬局を開設し、2階に調剤室を設置しましたので、その経験が参考になり、スムーズに運びました。

開設に当たっては、病院の門の近くに立って患者の行く方向を調査したりして、最も相応しい開局場所を決めましたが、同時に病院側と細かいことまで話し合う必要があり、担当者は何度も病院を訪問しました。病院での研修も行い、薬局でも新しいシステムを導入しました。

院長の意向で決まるような、それまでのケースと違って、組織として決定するため、ルールに則った対応をしなければなりません。初代の薬局長は会社のブロック長が就任しましたが、病院への対応や内部の体制構築など立ち上げる際には非常に苦労されました。

地元の薬剤師会は、1軒だけの開設ではなかったので余り反対はありませんでしたが、私自身の親しい知人が薬局を開いていましたので、彼には随分恨まれました。調剤薬局の開設に当たっては、どこでも反発はありますし、「顔では笑っても、心では怒っている」という状況がありますが、西区でもそうだったと思います。私も川久保もその風圧は充分感じていました。しかし、マンツーマンほど強い反対ではありませんでした。

「マンツーマンと違って、数軒で受け入れるとこうなるのか」・・・新たな発見がありましたし、場所が重要な要素になることが解りました。「処方せんを出していただく」ということから、「良い場所を見つける」ということが重要である状況に時代が移り変わってきましたが、そのために借り入れや資本を増強する必要もあり、川久保に「お前の考え(銀行借入、他資本の導入)が正しいかも知れないなあ~」と言ったこともあります。しかし、結果的には、当初からの方針が正しかったと思っています。スタッフも、競争の状態の薬局に勤める社員ほど優秀になりました。薬局同士が競争し、お互いに切磋琢磨しますので、オーナー側からしますと、「良い社員」に育っていきました。よく勉強しますし、患者さんの評判もすごくいいですし、質的にはかなり良い社員に育ったと思います。

2013/05/10(金) 00:00