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(株)育星会の誕生への道のり 第24章 高知カイセイ薬局の開設と地域に向けた薬局

  24章 高知カイセイ薬局の開設と地域に向けた薬局

 

平成101月、庄内カイセイ薬局に続いて開設したのが、高知市駅前町の高知駅前カイセイ薬局(平成101月開設)と、引き続き開設した高知市大川筋の高知大川筋カイセイ薬局(平成105月開設)です。関西以外で初めての出店でしたし、「病院に向けた薬局から地域に向けた薬局の開設」という方向性を確立しようとした時期でもありました。

現在は高知駅前カイセイ薬局の1店舗だけになっています。

高知カイセイについては、高知市の近森病院の処方せんを応需するために開設したのですが、きっかけは理事長の近森先生と管理部長の川添さんとの出会いです。お二人は手を携えて近森病院を日本でも有数の病院に育てられたのですが、私たちとの最初の出会いは社会医療研究所の勉強会でした。お二人とも勉強会に出席されていたのですが、研究所の所長である岡田玲一郎先生にご紹介いただき、何度かお会いしていました。

お二人は、何ら構えることなく気さくにお話していただけますし、近森先生のお母様のお葬式も参列させていただきましたが、葬儀のやり方がお公家さんとか皇族のようなスタイルで由緒ある家柄であるということを実感しました。近森先生ご自身の風格も素晴らしく、ものの考え方も率直ですし、川添さんの方は頭が切れて実行力があって、お二人は同級生らしいのですが、素晴らしいコンビでした。比較してもとても及びませんが、私と川久保のコンビのようなものです。コンビ同士で何となく馬が合ったことが、その後の交流をうまく運ばせる要因になったと思います。

そのうちに「分業のことを考えている」「経営上、薬を離したい」というお話があり、「薬を離す前に、主だった勤務医などを集めて勉強会をするので、その講師をしてほしい」と要請されました。病院スタッフを集めての勉強会で講師を要請されたのは近森病院と島田病院の2件だけです。

四国ということで遠いという問題点もありましたし、薬剤師も少ないため、大変であるということは解っておりましたが、近森先生と川添さんの人物像に引かれて、川久保と「よし!やろう」と決断しました。

薬局を開設するに当たって直面した問題は、場所の確保です。病院は非常に大きな敷地で、裏側に広い駐車場があり、病院の裏口を出たところにビルがありましたので、「そのビルが借りられそうだから、そこに薬局を開設してはどうか」というご意見もいただきました。そうしますと、ほぼ80%近い処方せんを獲得できるというわけです。

その時に、「近森病院の患者さんには皆判るだろうが、それ以外の一般市民、街の人には見えない」ということがありました。近森病院に対しては正面を向いているけれども、市民の側には向いていないということです。ところが、病院を出た正面のところに、街の方を向いた場所が見つかりました。病院に対しては横を向いた形ですが、手ごろな店舗が見つかりました。

どちらにするか非常に悩みました。裏に造れば80%近く処方せんを獲得できますが、地域に向けた薬局を造りたいと考えていた時期でもあり、悩んだ末に敢えて表の方の地域に向けた薬局を造ることに決めました。病院からもすぐ近くなのですが、大通りに面して、市民からはっきり見えるように開設しました。「地域住民の方に向こう」という考え方に魅力を感じた時期でした。

そうなりますと、裏側に薬局が出来ればかなり影響を受けるだろうと予想はしておりましたし、現実に、病院の薬局長だった人が退職して薬局を開設し、処方せんを受けることになりました。病院側からは、「7割はその薬局が応需し、カイセイ薬局は3割程度になりますよ」と言われました。我々も覚悟はしていましたが、丁寧に対応し、努力の仕方によっては徐々に増えていくだろうという自信がありました。

処方せん獲得には、初期においては場所が重要な要因になるでしょうが、次の早い時期には薬局の質が大切になる時代が来ると確信していましたので、敢えてその方向に進んだということです。これが育星会の大きな一つの転機でもありました。それまで、病院側ばかり向いて開設していたものを、出来るだけ地域の方を向いて造ろうと決めました。

もう一つは、スタッフの問題ですが、育星会のナンバー2を派遣しました。彼は非常に頑張ってくれまして成功しました。地域の人に信頼され、最初は「37」で負けるだろうと思っていたものが、蓋を開けてみると、1年ほどの間に「64」ぐらいで我々の方が多くなりました。病院側からは「やはり大阪の人は商売に強いな」と言われてとても嬉しく思いました。

大川筋カイセイ薬局は、近森リハビリテーション病院の処方せん応需のために開きましたが、患者さんの負担を軽くするため、病院に向って隣接して開設しました。こちらは処方せん枚数が少ないのは覚悟していました。「トータルで良ければ構わない」と考えていましたので、2軒開設したわけですが、結局こちらは平成1612月に閉局しました。

高知にはいつも川久保と二人で行っていましたが、開設に向けて活動する時期には予想外のトラブルもあり、頻繁に高知に行っておりました。飛行機に乗り遅れてフェリーで夜中に帰ったこともあります。当然日帰りを考えていましたので、翌日は大阪で予定を組んでいましたし、泊まることは出来ませんので無理を致しましたが、却って川久保と長い時間話す機会が出来てよかったと思っておりました。カツオのたたきや美味しい魚を食べたり、魚の干物を土産に買ったり、今となっては懐かしい思い出です。

 

注:高知カイセイ薬局は、近森病院の外来棟の新設に伴い、平成2311月に病院の門前に移転しました。 高知市駅前町24→高知市大川筋1350

2013/04/10(水) 00:00