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(株)育星会の誕生への道のり 第22章 ドーム前カイセイ薬局の開設

22章 ドーム前カイセイ薬局の開設

 

大阪市西区境川に開設したのがドーム前カイセイ薬局で、平成97月のことです。城東カイセイ薬局開設の3ヵ月後で、多根病院(社会医療法人きっこう会)の院外処方せん応需を目的として開設しました。

多根病院に関しましては、海北事務局長(現在はきっこう会顧問)とのお付き合いから始まります。

「近い内に処方せんを出そうと思うので情報収集をしています」という海北様のお話をお伺いして準備を始めました。正式な病院としての決定以前でしたので、ゆっくりと計画しておりました。その当時、病院は、現在の新病院の道路を挟んで反対側にありました。処方せん発行のお話しを受けて、門前の用地を探しましたが確保できず、結局、門前の一等場所には阪神調剤薬局さんに出店されてしまいました。

病院側は、当初、多根眼科病院から処方せんを発行し、いずれ本院も発行するという方針でした。門前には開設できなかったため、育星会としては、少し離れた場所、大阪ドーム(現京セラドーム大阪)西側の道路に面した場所に開設することになりました。門前の場合は投資額が大きく、借り入れも必要であったため、「無理はしない」と判断しました。

病院からは1350枚ほどが発行されると予想し、そのうち1/4程度、「最もやりやすい規模」として100枚ほどを受け入れることができれば良いと判断し、少し離れた場所でも構わないと考え、土地を探しました。その結果入手したのが現在の場所です。

借り入れをして、良い場所に開設し、処方せんを300枚ほど受け入れて利益を回収し借り入れを返していくということも考えられますが、それは「借金を造らない育星会のやり方」ではないと考えたわけです。

薬局の開設は育星会の方が早く、眼科の処方せんを調剤していました。阪神調剤薬局は少し遅れましたが、本院の処方せん発行の時には既に阪神調剤薬局が開設されており、どうしても処方せん枚数としては阪神の方が多い状況となりました。結局、病院(多根総合病院)は、平成233月に大阪市西区境川から道路を挟んだ場所(京セラドーム横、大阪市西区九条南)に移転し、それに伴い阪神調剤薬局も移転し、他にも新規オープンの薬局も出現しましたが、育星会は元のままで移転することはありませんでしたし、1店舗だけで応需することとし、予測通り、結果的に以前より処方せんは多くなり、嬉しく思いました。

 

2013/02/10(日) 00:00