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(株)育星会の誕生への道のり 第21章 城東カイセイ薬局の開設

21章 城東カイセイ薬局の開設

 

城東カイセイ薬局の開設は平成94月ですが、きっかけは大手民間病院の事務長の勉強会である「土曜会」での天野事務長さんとの出会いです。

この勉強会は、元厚生労働省の皆川尚史さんが主宰するもので、森本病院の浅田事務長さんや多根病院の海北事務長さん等が中心の全国民間大病院の事務長さん等の勉強会でした。浅田・海北両事務長さんのご紹介で、どうした訳か薬剤師で参加させていただいているのは私だけでした。

病院の合理化の最たるものが薬に纏わる合理化でした。いろいろとお話をする中で、分業の話も出まして、「私の方もそろそろ処方せんを出そうかと考えている」と大道病院の事務長である天野さんからお話がありました。

そこで、「薬局を開設する場合に備えて候補地を探してみましょう」ということになり、場所を探しました。本院(大道クリニック)があって、少し離れた場所にリハビリ専門のボバース記念病院がありますが、試しにボバース病院の方が先に処方せんを発行してみようというお話でした。

そして、「その中間ぐらいの場所に薬局を造りましょう」ということになり、場所を探しました。そうしますと、ちょうど良いところに20坪ほどの民家があり、交渉の結果借りることになりました。病院側に「借りることができるようになりました」と伝えましたところ、「それでは発行の準備をしましょう」ということになり、同時に準備にかかりました。その時には、ボバースの薬局長の前田先生から非常に親切にご指導いただき、スムーズにオープンすることが出来ました。

何年かした後、ボバースの院長が替わり、同時に新しい薬局が病院の門前に出来ました。カイセイ薬局と病院の間、病院を出てすぐの場所に出来ましたので、カイセイ薬局までは遠くなり処方せんが少なくなりましたが、これは想定内の事柄でした。

本院が処方せんを出すということになりますと、その近くにも薬局がまた出来るでしょう。育星会は中間に出しましたが、将来においてそれが良いとの自信がありましたので中間に出すことを選びました。

ボバースの門前に薬局を開設すると、本院が処方せんを発行する時には、本院の前にも薬局を開設しなければなりません。処方せん枚数は、本院は300枚、ボバースが100枚と考えられましたので、1軒ずつ開設して8割の300枚ほどを受けるか、あるいは、中間に開設して80枚ほど受けるか、今後の育星会の基本理念との初めての出会いでした。

川久保君と意見の調整に時間はかかりましたが中間に造るということで両者の意見の一致点を見つけました。

わが社は「絶対借入しない」という方針と、「最大100枚前後でないと、将来充実した薬療は出来ない」と考えていました。2ヵ所に開設するということになりますと、土地代を含めてかなりの資本が必要です。候補地はあったのですが、調剤薬局が進出するということが判っていましたので、だんだんと法外な値段になっていました。そうなりますと、銀行の借入をしなければなりません。銀行の借入を起こして2ヵ所に造るか、自己資金だけで中間に1ヵ所開設するかという選択です。

その他にもう一つ、その時に頭の中にあったのは「薬剤師の質」の問題です。非常に悩んでいましたが、医薬分業が、マンツーマンの対応から競争の状況になりますと、「薬剤師の質が変わる」ということを現実に実感しておりました。幸いにも両院はそれほど離れていませんので、1軒でも対応できる、敢えて中間に開設しても、何とか対応して処方せんを獲得するだろうと考えました。対応が良くなり、患者の評価も上がるだろうと考えたわけです。2軒とも開設して、ばたばた忙しく処方せんを応需し、機械的に薬を渡すよりも、中間でじっくり対応する方が、患者は徐々に増えて、中味の濃い、思い切ったサービスができるだろうと考えました。この考え方が、時代の移り変わりとともに間違っていないことを確信しています。

数ヵ月後に開設したドーム前カイセイ薬局の場合、病院が移転して、カイセイ薬局より数軒先の病院に近い場所に阪神調剤薬局が出て来た時に、その影響を心配していましたが、私は、「むしろ違う」と考えました。移転以前には、病院の門前で阪神調剤が処方せんを受けていてカイセイには殆んど回ってきませんでしたが、移転後は、「阪神が多く受けるだろうけれども、カイセイの処方せんも前よりは増えるよ!」ということです。つまり8%であったものが20%になるということです。ですから「増えるのだから喜ばなければいけない」ということです。阪神が来るとか来ないという問題ではなく、「8%20%に上がるのだから喜ぼう」と言いました。後は薬局の質の勝負です。

そのような考え方ができたのは、城東の経験があるからです。「真ん中が良い」という結論で、「それでよかった」と感じていました。

私の考えは川久保君も理解してくれました。どちらが正しいかではなく、どの方向に行くかを二人が、お互いが充分に理解し合うかでした。私は、吉矢先生の教えも受けて育ちましたので、根っ子に薬剤師とか薬局に対する強い愛着があります。そこに、拡大型に徹しきれないものがあったのだと思います。「いざという時には大きな借入を起こして会社を挙げて大勝負をしよう」ということで川久保君と意見の一致をみたことが懐かしく思い浮かびます。

2012/12/10(月) 00:00