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(株)育星会の誕生への道のり 第18章 元町カイセイ薬局の開設

     18章 元町カイセイ薬局の開設

 

神戸市中央区に元町カイセイ薬局を開設したのは平成81月です。このことにつきましては、昨年910日に掲載した第11章の高石カイセイ薬局(昭和633月開設)の時に触れていますが、改めて詳細を紹介したいと思います。特に、その後何軒も開設してきていますが、自分たちの時代には、店舗数を一定限度にとどめ、薬剤師も質の良い者だけを残し質的充実を図るという基本的な考え方がありました。そういう方向に転換したきっかけとなったのが元町カイセイ薬局です。全体で30店前後の店舗数に固定し、新旧入れ替えをする為独立を希望した10年以上の勤続社員に譲渡したわけです。

元町カイセイにつきましては、高石カイセイの時にも紹介しましたように、玉川先生が高石の診療所を他人に預けて、ご自分は神戸の実家のところにビルを建てて、そのビルに弟さんの歯科医院を開業し、ご自分は医院を開業するので、1階に薬局を造らないかとのお話しをいただき、お引受けして薬局を造りました。

元町駅の近くで賑やかな場所ですし、OTC薬も売れるだろうと考えました。また、近所に何軒か別の診療所がありましたし、近くにはパルモア病院もありましたので、それらの処方せんも期待していました。場所的に良いだろうということで開設しました。OTCの方も頑張って月商400万円ぐらいにはなりましたし、処方せんも130枚程度で推移しました。本格的にOTC販売と処方せん調剤を併設したお店は初めてでした。

何年か経過して勤続10年を過ぎたA社員に譲渡しました。彼は長い間店長として頑張っていましたし、育星会に入社する前は、OTCの薬局に勤務していましたので、彼ならば両方できるだろうと判断して元町店を任せていました。その彼から、「もしも機会があれば神戸のカイセイ薬局を譲って欲しい」との申し入れがありました。

最初は、その気もありませんでしたが、それと相前後して、川久保と話し合い、育星会の方針について「上場して資本増強、あるいは借入をおこして、多店舗展開をしていく」ということを現時点ではしないということに決めました。しかし、だからと言って、「会社は今後も伸ばしていきたい」という考えもありましたので、「中味の充実した会社にしたい」と考えていました。

そこで考えついてのが、「軒数は30軒前後で固定し、新しい店を造る場合に、古い店を止めてしまうわけにはいかない。そのため、社員で、『退社して独立したい』という希望者があれば譲っていこう」という方向性です。しかも、資金の必要がないようにシステムを組んで譲っていこうと考えました。

造るよりも止める難しさの方が何倍も大きいことはセントラル薬局を閉鎖する時の経験でよく判っていました。閉めるということは処方医にも迷惑をおかけするし、患者さんにも迷惑をかけることになります。マンツーマンの場合、閉めることは造るよりも難しいということす。新しい店舗を造って会社を良くして行こうとする時に古い店舗を閉めるということは大変なことであると認識していました。

ですから、それよりも、社員が独立していく手助けになれば良いのではないかと考え、社員に譲っていく方針にしました。軒数は一定にしておいて、新しいものと古いものを入れ替えていくということです。そうしますと、薬剤師もそれほど沢山は要りませんし、良い薬剤師を残していけます。中味を充実していけます。

多店舗展開よりも会社の中味の充実、質の向上を図る方向に切り替えて行く自信と目途がつきました。

ただ、社員に譲るにしても若い人に譲ることはできません。会社では、ある程度の年数勤めても、上の方に昇格できる人数は限られますので、希望すれば独立していくことができるというメリットがあります。しかも、原則として、本人が借入を起したりしなくても良いように、本人はお金を使わなくてもできるようなシステムを組みました。

これからも医師との間で充分に話し合いマンツーマンで分業する方向でしたので、逆にそれが足枷となって「止めるに止められない」状況がありました。

30軒程度」の店舗を持てば数のメリットも少々有るし、目が行き届いて統制の利く数でもあるということで、「30軒程度」を一つの目安と致しました。それまでは店舗数も増やしましたが、質の充実を図るという考えから社員に譲るという考え方を取り入れた最初のお店が元町カイセイ薬局ということです。

余談ですが、本人の話を聞きますと、ご自分の店になって以降OTCの売上が倍以上になったということです。それ以降、向かいの診療所も処方せんの発行を始め、現在順調に推移しているようです。

2012/07/10(火) 00:00