yoshio's blog

(株)育星会の誕生への道のり 第17章 春木カイセイ薬局の開設

     17章 春木カイセイ薬局の開設

 

大阪府岸和田市に春木カイセイ薬局が開設されたのは平成7年12月でした。東住吉カイセイ薬局の開設から2年半後のことです。

春木カイセイにつきましては、中野常務が大阪南部の病院を廻っている時に、問屋の方から話を聞いて、春木病院の事務長に会いに行きました。中野常務が事務長にお会いして、「どうも分業をする気があるらしい」との感触を得ましたので私も同行してお伺いいたしました。理事長さんも賛成とのことでしたので、すぐに開設に向けて準備を始めました。

ところが、薬局を開設する場所がなかなか見当たりません。周辺は古い家ばかりですし、空き地すらもないという状態でした。そのため、中野常務が必死で一軒一軒周辺をお願いに回りました。彼の努力が通じたのか、3軒程隣の家主さんから「倉庫なら貸しても良いよ」というお返事をいただきました。玄関横の倉庫でしたが、それを借りて、敷地が小さいので木造2階建ての調剤薬局を造ることになりました。6坪ギリギリの小さな薬局でした。

この辺りまでは順調に進んで薬局が先に出来上がりました。しかし、病院の内部事情で処方せん発行がなかなか行われませんでした。いざ発行してみようとすると、まだ処方せん発行病院が少なかった時代でしたから、病院側にいろいろな困難が発生していました。この時に初めて、病院側の処方せん発行に関する問題点や困難な問題を熟知して何らかのアドバイスでお役に立たなければならないことを痛感し、以後、日本医療研究機構の土曜会(私的な病院の改革研究会)に熱心に参加いたしました。

結局、薬局はオープンしているのに、処方せんがなく、空家賃を払わなければなりませんでしたが、このようなケースは育星会としては初めてでした。処方せん発行のズレで最初の1ヶ月くらい空家賃を払うケースはありましたが、本格的に空家賃を払うのは初めてでした。維持費が必要ですし、薬局建設のためのリースの借入金の償却もありました。

「困ったなあ」と思っていましたが、何ヶ月か過ぎた頃に、ようやく話がまとまりました。処方せん枚数もそれほど多くはありませんでしたが、やっと安心致しました。

土地を確保して、薬局を建てられる状態にして置いておけば、予定通り進まなくても何とか耐えられますが、一歩間違えば問題が起きた時に対応が困難になります。今回の場合は、やっと見つけた場所でもあり、家主も性急にことを進めたい意向であったため、こちらも急いで作業を進めました。しかし、これが良い教訓になり、以後着実で確実な薬局開設となります。

もう一つは、薬剤師会の問題がありました。春木は岸和田市ですが、近隣の薬局や地元の薬剤師会の反対もありました。その当時、私は大阪府薬剤師会の理事をしていましたので、無理も出来ません。今のように処方せんが出るのが当たり前とか、調剤薬局の存在が珍しくない状況ではなく、地域に調剤薬局が入ってくることがなかった時代でしたので、「病院で薬局を指定しない」とか、「全保険薬局の地図を渡す」などの条件がいろいろあって、折衝に苦労しました。大阪府薬の理事の立場もありましたので、条件を全て受け入れました。

春木病院以外に、近くに、当時としては珍しい透析病院がありましたので、そこの調剤も引き受けました。薬局開設から半月位してその病院から処方せんが出るようになり、最初はそれだけでした。これは、春木病院の情報を持って来た中野常務が、春木の状況が進まないため責任を感じて透析病院を説得した結果ですが、最初はその病院の処方せんだけでしたので、処方せん枚数としてはわずかでしたが大変助かりました。

春木につきましては、病院側にいろいろご希望の条件がありまして、それをクリアするのに時間がかかったこと、最初の交渉や家主との交渉など全て中野常務が担当していましたので、苦労をかけたと思っています。ただ、育星会としては病院志向に変わった後でしたので、止めるというわけにもいきませんでした。

春木カイセイと云うとすぐに中野常務の気苦労を思い出します。

2012/06/10(日) 00:00