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(株)育星会の誕生への道のり 第10章 第一ビルカイセイ薬局の誕生 

10章 第一ビルカイセイ薬局の誕生

 

カイセイ薬局として3番目にオープンしたのが第一ビルカイセイ薬局です。大阪市北区梅田の第一ビルに開設しました。昭和6110月のことです。

大阪市の都市再開発によって誕生した「大阪駅前第一ビル」ですが、その中の透析クリニックからの処方せんを応需するために、2階に開設しました。2階(一部3階も)に多くの医療機関が入居し、医療フロアーとなっていますが、11階に「沖辺クリニック」という人工透析専門のクリニックが入っており、その処方せんを中心に調剤しています。その先生を紹介してくれたのは、私の友人で今は亡き白井大禄先生(6章ホシ薬局で登場)です。「処方せんは少ないが受けてもらえるだろうか」との話で、取り敢えず見学に行きまして、「将来的には他の医療機関からの処方せんも期待できるのではないか」と判断し、開設に踏み切りました。

当初検討段階では、開設する場所がなく苦労しました。2階に12~13坪と狭かったのですが、スペースがありましたのでオープンすることになりました。透析の処方せんが30枚か40枚程度、それ以外で10枚程度と、合計40~50枚程度で始めました。しばらくして、沖辺先生は辞められ、代替わりしましたが、処方せんは続いています。その後、1階の眼科からも処方せんが来るようになり、現在に至っています。

当時、福島区にあった阪大病院からの処方せんが流れてくることも想定されましたので、ビルの1階の幹線道路に面した場所も考えましたが、すぐ近くに在来の一般薬局があったことや、医療機関の近くの方が良いという判断から2階に開設することになりました。当時は、「医療機関に顔の見える薬局」という位置づけを重視していました。現在の考え方とは全く違っていました。

この考え方、即ち「医療機関に顔の見える薬局」から「地域住民に顔の見える薬局」へ転換したのは平成101月に開設した高知駅前の駅前カイセイ薬局(現在は高知カイセイ薬局)がきっかけで、その後、我が社は徹底して「地域住民に顔の見える薬局」を追求して行きました。

しかし、昭和61年当時はそこまで考えることができず、常に医療機関を意識した立地を追及していました。

人工透析は、勤め帰りのサラリーマンが受診しているケースも多く、夜遅くまで調剤に取り組まなければならないのですが、患者に渡すまでに時間的に余裕があるため、他の医療機関の処方せんを受けるのに支障が出るというわけではありませんでしたので、混乱するということはありませんでした。

この経験が、後に老健施設の処方せん調剤を取り扱う時などに役立つことになりました。

2011/09/10(土) 00:00