yoshio's blog

(株)育星会の誕生への道のり 第8章 阿倍野カイセイ薬局の誕生(カイセイ名称1号店)

8 阿倍野カイセイ薬局の誕生(カイセイ名称1号店)

 

地域名などを冠するだけの薬局名から、「カイセイ」に統一するようにしたことは前回のブログでも紹介しました。カイセイ薬局チェーンと言われる事を善しとして、今回の店より敢えて始めました。以降、全ての店舗は(小文字地域名)+カイセイ薬局と致しました。

当時、当社には株式会社育星会と株式会社快星という法人がありました。快星はその後、株式会社満天となるわけですが、その快星を薬局名にしようと考えたわけです。しかし、当時、ともに医薬分業に若い力を注ぎ込んでいた佐賀の平野伸幸先生の薬局が回生薬局であったため、こちらの方はカタカナの「カイセイ」とすることにしました。

阿倍野カイセイ薬局は、そのカイセイ薬局と改称することとした後の第1号店です。

開設の経緯を紹介しますと、育星会の株主の薬局を含め当社の会計顧問は八文字会計事務所ですが、ある日、その担当者の片山氏から、「顧問先の医院から処方せん発行の相談を受けているのですが・・・」とお話があり、早速、その加藤先生に会わせていただき、信じられないほどトントン拍子に話が進み、医薬分業されることになりました。

開設当初から順調に進みましたが、しかし、ここで記憶に残る出来事がありました。

それは、糖尿病薬の誤投薬です。

実際には胃炎用薬が処方されたのですが、間違えて糖尿病薬を調剤して渡してしまいました。しかも、患者さんがほとんど服用してしまってから、その事実が判り、入院していただくことになりました。医師に相談もしましたし対応を話し合いました。結局、こちらの初期対応の拙さが大きな過ちでした。患者さんは素人なので、店長はうやむやにしようと思いましたが、患者さんの奥様が病院勤務の薬剤師さんでしたので糖尿病薬だと判り、奥様から改めて「警官が泥棒するようなものだ!!」と激しく非難されました。普通の泥棒と違って警官が泥棒するとなると、それだけ余計に許されないという批判です。

そうです!薬剤師として絶対やってはいけない事をやってしまったのです。

私と川久保は、この対応に非常に苦労しました。二人で話し合いましたが、結局、まずは患者さんが回復するまで全力を出し切ることにしました。幸いにも患者さんは2ヶ月ほど入院しましたが元気に退院なさいました。

そこで、以後の反省と対応策を二人で考えました。その結果、店長の処分よりも「責任は我々二人にある」との結論に達しました。以前にも書きましたが、私と川久保は「ニコイチ」の間柄でしたから、給料は一人分を二人で半分ずつ分け合っていました。そのため、同じ規模の調剤薬局チェーンの代表者からすると、極端に少ない額だったと思います。

今回のトラブルでは、もちろん店長も降格しましたが、出来るだけ軽いものに済ませ、責任を取って我々二人の報酬を半額にする減給を決めました。

その当時、二人とも給料は全額家計に入れていましたので、家内には減給のことが言えず、ヘソクリで何とか埋め合わせるという離れ技でした。

このことがあってから、毎日、前日の報告書を提出させることにしました。特に、ミスのレポートは事務局で付箋付にしました。その日の出来事を報告する付箋付日報はこの時から始まりましたが、この日報が自分の引退を早めた大きな原因になっていくとは夢にも感じていませんでした。

1日に付箋付きの日報が3枚、4枚と回ってきます。数の間違いぐらいでしたらまだ良いのですが、そうでないとストレスがたまってきます。夢にうなされることが時々ありましたし、事故のために患者側から糾弾される事件もありました。この辛さは後々まで残り、付箋を見るたびに「ドキッ!」とするようになりました。

 

 

2011/06/10(金) 10:29