yoshio's blog

(株)育星会の誕生への道のり 第6章 2号店セントラル薬局の誕生 

6章 2号店セントラル薬局の誕生 

 

 心斎橋の四ツ橋筋にセントラルビルがあり、2号店はその2階に開設いたしました。昭和53年です。借り入れを起こさず自己資本だけで店を作る・・というのが我々の信条でしたから、役員はほとんど給与を取らず2年間頑張り、何とか自己資本を貯めて開設する事が出来ました。1号店で良い教訓を得ましたし、まだ大きな借り入れが出来るほど資力を持ち合わせておりませんでしたので、無理をせずに自己資本で出来る店を作りました。

主に同じ階にある大平医院からの処方せんでした。大平先生は循環器専門で一人一人時間を掛けて丁寧に診ておられましたから、処方せんは少なかったですが、患者さんの多くは医師またはその縁者の方が多く、循環器では相当著名な先生でした。四人の長尾・中野・渡辺・飯田の薬剤師たちは息つく暇もなく勉強させられました。(しかし、ここで知り合った結果、育星会では初めての社内結婚の誕生という嬉しい出来事もありました)

 セントラルが軌道に乗っていたある日、薬局で大きなミスをしました。大平先生に大変なご迷惑をお掛けしましたので川久保社長が謝りに行きました。

大平先生は「君たちの会社は謝り方も知らないのか!」と言って激怒され、「信用できないから処方せんは明日から止める」と言われました。私は東京へ行っておりましたが急遽帰阪し、嫌がる川久保社長を説得し、夜中でしたが宝塚の先生のご自宅まで謝りに行きました。雪の降る寒い夜でしたが、朝まで門を開けてはいただけませんでした。翌日診療所に朝駆けしお詫びに行きました。

前夜ご自宅にお伺いしたお話をし、川久保社長がピョコンと頭を何度も下げて「スミマセンでした」と謝り、やっとお許しをいただきました。

診療所を出た時、川久保社長の目がうっすらと潤んでいました。喜びの涙だとばかり思っていましたら、悔しさの涙でした。彼は生涯謝る事の大嫌いな男でした。「スミマセン!」とは言いますが、大きな目をギョロ!と剥いてフテブテシイ態度で謝ります。

その時、「この男には生涯謝らせる事はさせまい」私は心にそう決めました。

彼が謝らずに前へ進む事は私が前へ進む事であり、彼が謝って後退する事は私が後退する事になる事を察した出来事でした。

以後30数年間、必ず昼食を共に致しました。お互いの意見の違いは、この二人だけの時に激論を飛ばし合いました。お互い暗黙のうちに社内では言い合いを避けていました。お互い腹が立って物も言わずに別れることも多々ありました。お茶をしている周囲の人から「ヤカマシイ!!もう少し静かにしゃべっていただけませんか!!」と注意された事も多々ありました。しかし、あくる日になると、自分の意見を通す時は「きのうはスマンかったのぉ~・・。チョット言い過ぎたかなぁ~~」なんて大きな目を細めて謝っているように見えますが、じつは二人の意見として決定された会社の方針の8割は残念ながら彼の意見でした。フォローが完璧で自分の意を通して行く彼独特の人間性と頭脳の素晴らしさの一端です。

 

2011/03/10(木) 00:00