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(株)育星会の誕生への道のり 第5章 ホシ薬局の誕生

第5章 ホシ薬局の誕生

 

 私の天王寺高校時代のバスケット部の親友であった故白井大禄(大阪大学医学部腎臓内科・厚生年金病院)君から、「友人の上田卓也先生が医薬分業に興味を持っておられるから会ってみないか」と言われ、すぐに会いに診療所へ行きました。1100人ほど患者の来る大変忙しい診療所でした。

「このままでは忙し過ぎて投薬にミスが出そうなので、処方せんを発行して投薬は薬剤師に任せたい」というのが最初におっしゃった言葉でした。

4人の薬剤師は自分たちの職業を認めていただけた嬉しさに大感激いたしました。早速隣に小さな薬局を作りました。

いよいよ開店が間近になった時、上田先生から電話があり「両親から反対のクレームが出ており、これ以上進めると家族中がおかしくなるので少し相談にのってほしい」との連絡が入りました。私と川久保が急いで訪ね、事情をお聞きしました。

上田先生のお父様は、和歌山で地区の医師会長を長い間務めておられた関係で医薬分業には大反対でした。私たちは事情を聞いて一晩だけ猶予を頂き、帰って相談しました。その結果、「これ以上無理強いすると上田先生のご家庭にご迷惑をおかけする」との事で撤退する事に決まりました。気がつくとファミリーレストランで朝を迎えておりました。その足ですぐに上田先生の元へ結論を持って行きました。

上田先生と奥様は眠たそうな目でニコニコと笑われ、「ご心配おかけいたしましたが引き続き進めてください」と言われました。

「昨夜もう一度両親を説得いたしました。何も言わなかった家内が強烈な助け舟を出してくれて決まりました」というわけです。

諦めが喜びに変わった瞬間。感激と感謝で満ち溢れていました。

昭和509月。これが、育星会の医薬分業への取り組みのスタートです。

難産な子ほど可愛いいと言います。

以後、育星会の新入社員は必ずホシ薬局で研修する事を義務付けました。「あなたに優しい薬局・あなたに優しい薬剤師」になるために・・・。

私が育星会を引退するに当たって飯田社長にお願いいたしました。

「どんな時代が来ても上田医院がある限りホシ薬局は残してほしい・・」と。

 

 

2011/02/10(木) 00:00