yoshio's blog

(株)育星会の誕生への道のり 第2章 「JOVY」への芽生え

第2章       JOVY」への芽生え

 

協励会で再開を約束して分かれてから数日後には、スワノモリ薬局の佐久間秀夫先生(堺・スワノモリ薬局)からの呼びかけで再会いたしました。その時集まったメンバーは長尾祐吉(池田・長尾薬局)、須山隆(生野・スヤマ薬局)、土井一佑(神戸・布引薬局)、川久保雅弘(堺・かわくぼ薬局)、山田浩勝(堺・山田衛生堂薬局)、目谷義夫(堺・八千代薬局)の7名でした。

お互い気心の知らない者同士でしたので、最年長の佐久間先生の発案で信州の丸池へスキーの一泊旅行に行くことになりました。バス旅行でしたのでお互いタップリと話し合う機会に恵まれました。当時はダイエーなど大型店の急拡大の時期でもあり、乱売合戦の真っ只中でしたので、みんなの悩みは二つありました。

一つは「安い商品を買いたい!」でした。もう一つは全員薬局二世でしたから「早く親から独立したい」です。

「安い商品を買いたい!」はバスの中で考え方がすぐに一致しました。共同仕入れ機構「丸池薬品」の設立です。

しかし、張り切って会社を設立しましたが、どの問屋さんも話に乗っていただけず開店休業の日々が続きました。「10個買うからいくら?ではなく、1個でいくら?」がみんなの基本方針(今も続いているであろう「JOVY」の基本方針)でしたから、メーカーや問屋さんからすれば、たかが7軒ぐらいの小さな薬局のグループなどは全く相手にはしていただけませんでした。メーカーや問屋さんの「底力」と自分たちの非力さをマザマザと見せ付けられた出来事でした。

(株)育星会引退まで私個人としては、原則としてメーカーさんや問屋さんと接触したくなかったのはこのときの影響が大きかったかも知れません。

 そこで、「丸池薬品」は神戸の土井先生を除いた6名で2名3組に分け2日に一度、1週間で3回各店の注文を受け、翌日、大阪・平野町の現金問屋へ買いに行き、翌日一日がかりで各店に届けました。今から考えると採算を度外視した若者の行動でしょうが、当時ではお互い仲間への信頼度がドンドン加速し、想像以上の圧力との闘いでしたが、楽しい楽しい自己満足の毎日でした。

 この「丸池薬品」がその後「セイユー」と名称変更し、人生類のない仲間の山田浩勝と川久保雅弘が二代続けて社長になり基盤整理をし、勇躍発展して現在では全国で1200店舗余りを持つ唯一の薬局ボランタリー「JOVY」の誕生となって行きます。

 

2010/11/10(水) 12:05