yoshio's blog

(株)育星会の誕生への道のり 第1章 仲間

第1章 仲間

 

 育星会の歴史を考える時、その胎動は日本薬局協励会大阪合同支部の研修会がきっかけであったと思います。記憶は定かではありませんが、昭和46年頃奈良の国際ホテルで開催された研修会で、当時の大阪府薬剤師会会長の吉矢佑先生(後の日本薬剤師会会長)が「医薬分業」についてご講演をなさいました。

 当時、私は薬剤師国家試験合格後、大阪大学医学部附属病院薬剤部に研修生として入局しましたが、すぐに実家の八千代薬局(堺市)に呼び戻され「くすりの乱売合戦」の中で育っていました。

 大学を出て数年しか経っておらず、薬の販売だけしか知らなかった未熟な薬剤師であった私は、吉矢先生のお話を聞いて、薬剤師にももっと別の世界(医薬分業)が有る事に感嘆しました。未だにあの時の感激とショックが鮮明に思い出されます。

ご講演の後、ロビーでその内容を思い出し、もう一度噛み締めながら自分の進む方向などを考えておりますと、同じように感激して物思いに耽っている若い開局薬剤師が数名いる事に気付きました。その人達が誰言うとなく自然に集まり、懇親会に出るのも忘れるほどワイワイガヤガヤと無我夢中で語り合いました。

薬局経験の少ない若い薬剤師たちが、新しい時代への移り変わりを本能的に感じ取っていたのではないでしょうか。お互い近いうちに再会することを約束し、その日は別れました。

その感激も色褪せない数ヵ月後、たまたま近所の診療所から医科の処方せんが来ました。歯科処方せんは1ヶ月に5~10枚ほど来ておりましたが、医科処方せんを見たのは店頭に立って初めての経験でしたので小躍りして喜びました。早速その処方せんの写しを額に入れ、発行していただいた先生に「添え言葉」を書いていただくために訪問しました。

その先生は、「そんなに薬剤師が喜んでくれるのなら・・・・」と言われ、翌日から数枚処方箋が出るようになりました。その額は調剤室に掲げ、毎日仕事始めの自訓にしたものです。

この様子を薬剤師である父が見て、うっすらと「涙」を浮かべているのを見まして、私自身、薬剤師になった喜びを感じ、生涯「医薬分業」に生きようと思いました。私の棺桶には、花の代わりに「処方せん」の写しを入れて飾ってもらうように遺言を残してあります。

「医師は薬を売り、歯科医師は金を売り、薬剤師はチリ紙を売っている」なんて世間から囁かれていた時代からの脱皮が果たせそうな予感に胸膨らませたワクワクな毎日でした。

2010/10/12(火) 16:15